冬のライドで「あたたかさ」を考えてみた・・・
「寒さが億劫で乗らなくなってしまったよ↓」
最近姿が見えないお客様にお伺いすると、少し元気のないお返事です。
日照時間の量と人の気持の状態にはとある関係性があるようです。
日照の少なくなる冬季、人類の祖先が寒さに備えて栄養を溜め込み、活動を減らしてエネルギーの消耗を抑えるなど、進化の過程にあった冬眠の習性の遺伝子が我々もほんの少し残っているとのことです。
時たまクマのように寝て起きたらポカポカ春だったなんて妄想にふけたくなりたい時もあります、そんな気持ちが後に向きつつあるときこそむしろ自然の日光を積極的に浴びながら活動量を増やすことで食欲・睡眠など規則正しい生活を過ごせて免疫力を維持しながら冬の病の予防にもなるのではないでしょうか!?
距離や時間にこだわらず 15分のサイクリングでも・・・
こんにちは、堀越です。
みなさんが自転車にのって得られる充実感は何でしょうか!?
体力の向上?美味しいご飯?体重の減少?仲間とのコミニケーション?・・・・
昭和後期生まれで根性論が幅を利かした時代に義務教育を過ごし、今ならブラッ◯企業と言われていたサラリーマン時代にアイアンマントライアスロンを目指していた頃の習性は抜けず、ライドには質よりも量を求めてしまいます。
長時間に耐えること、距離を乗り込むこと、体力を使い果たす事が何よりも自転車に乗って得られる充実感でした。
理想の休日は、日の出から日没まで一日中乗って好きなものを食べながらの晩酌です!!
しかし家庭の環境も変化する中で、同じスタンスで自転車に乗り続ける時間的余裕は漸減する一方です。
この日も家の用事で自由になれる時間を獲得したのは昼食を済ませてから子供のお迎えまでの数時間。
今までなら峠1本も乗れないなら・・・ 休みに100㌔乗れないなら・・・ 到底満足出来ない絶対量に不貞腐れて乗らずじまいだったでしょう。
ところが最近は15分でも乗れるなら外を走ろうと思えるようになってきました。なぜだか・・・
そこで気づいたことが・・・・
12月も中半を過ぎたのに小春日和の午後は気温が15度と薄手のジャージで快適に乗れてしまう!!
そこらじゅうの木々を見ても紅葉の盛りで体感的には一月前くらいの11月の初旬といった感覚ですかね。この暖かさが温暖化に所以するものなのか??スケールの大きい話は私にはわかりませんが、確実に暖かく感じます!!
そこで最初の「寒いから乗らない」に戻るのですが、
この寒いと言われる時期でも時間帯を選べば想像以上に暖かく快適に乗れるんじゃないかと思います。この数週間を振り返ってみても10℃台中半まで気温が上昇する日は幾度とありました。
太陽が昇りきったお昼頃にでも試しに乗り出して見て下さい!!
厚手のものを大げさに着込まず、風よけのウインドブレーカーで脱ぎ着しながらの調整で賄えてしまいました。
ほんの少しのつもりで身軽に乗り出してみると、身軽な軽快さが心地よくてもう少し走ってみようかなって気にさせてくれたり・・・
ただ・・・・
前後のライトは常備しましょう!!
日中の暖かさに関わらず、太陽の周期は刻一刻と歩みを進めます。
あんなに暖かい日差しの昼下がりも15時を回ると一気に光量が細く、長い影を伸ばします。
何故か冬の夕暮れは、儚さと寂しさの哀愁を感じてしまうのは自分だけでしょうか!?
さぁ、ポケットにしまったウインドブレーカーをまっとって家路につきますかぁ。子供のお迎えです。
2時間ちょとのサイクリングとなりましたが、もっともっと乗って時間を費やしていた気になります。
きっと太陽の高い位置から日没までの日の移ろいを、夏場の頃の時間軸と重ねて錯覚してしまってなのかな。
冬の13時~16時が、夏の12時~18時で活動しているよな感覚です。
乗れば乗ったなりの楽しさが、
「やっぱり乗って良かったわー」
黄昏時に見た牛久沼の小波と湯船の波がリンクして、その日のライドを思いおこします。
牛久沼の夕日が綺麗だったからって、また車で見にいくか?そう問われたらNOでしょう!
ふらっと自転車に乗って、宛もなく行き着いて偶々みれた光景だからそう思えるので、その光景を最初から期待していたらまた違った感想になっていたんじゃないかと。
自転車を自分で漕いで、日が傾きながら空気が変わってゆくのを肌で感じる過程を経ての風景だからこそありがたみがあるんじゃないかなと。
エベレストの登頂に一歩一歩登るのと、ヘリコプターでバビューンでポンと降り立つのでは違うよね!?例えのスケールが大げさ過ぎますが・・・
乗らずに後悔するなら、乗って後悔したほうがいい。と思いつつも、
乗って後悔するってそんなにないので、寒いと言わず乗り出してみてください!!